たびびとが行く

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一日にわずか3本の列車で地域と若者を支え続ける駅 - JR小野田線「本山支線」・長門本山駅

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  日本中に張り巡らされた鉄道路線の中には、首都圏をはじめ大都市の近郊のように、1時間に10本前後もの列車が通る路線がある。その一方で、地方のいわゆるローカル線のように、数時間に1本の列車がやってくるだけという路線もある。このように、列車の本数が路線によって大きな差が出るようになった背景には、例えば都市部への人口集中や、それに伴う地方の過疎化、そして時代による日本の産業構造の変化、道路網の整備やモータリゼーションなど、さまざまな事情がある。

  そうした中でも、日本人の鉄道に対する愛着は相変わらず根強い。昔からいた鉄道ファンは、世代やジェンダーを超えて、ますます増え続けているし、飛行機や新幹線などの高速移動手段に頼らず、敢えて普通列車や夜行列車で、のんびりとした旅を楽しむという「贅沢」も、広く一般に受け入れられるようになってきている。このようにして、層が広がり続ける鉄道ファンの中には、一度は見放されたかのように思われていた、地方のローカル線に目を向ける者も少なくない。

  こうして、にわかに注目が集まるようになってきたローカル線の中でも、とりわけ典型的なものの一つとして、山口県のJR小野田線の通称「本山支線」がある。その終着駅である長門本山駅は、列車が一日に3本しか来ないという、列車でこの駅へたどり着くこと自体が困難なほどの駅である。そんな「日本の鉄道の最果て」の姿を確かめるべく、長門本山駅を訪ねてみた。

 

日本の高度経済成長を支えた街の歴史と共に歩んだ鉄道路線

 

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  長門本山駅がある山口県山陽小野田市は、長くセメントを主産業としてきた街で、この長門本山駅が属する小野田線も、そうしたセメントや石灰などの工業物資を輸送する役割を担ってきた歴史があるという。そんな小野田線はもともと、宇部鉄道という私鉄の路線であったが、第二次世界大戦中に国有化され。戦後も国鉄の路線として存続した。戦後の日本における産業構造の変化に伴い、当初の役目であった工業物資の輸送路線としての役割は終えたが、その後も地元で暮らす人々の足としての役割を受け継ぎ、今もその役割を担い続けている。

  小野田線は、山陽小野田市に隣接する宇部市内にある居能駅で接続する宇部線と共に、今となっては珍しくなった、たった1両だけの編成の単行列車が、今ものんびりと走っている。車両自体は、かつての国鉄時代に製造された年季もので、車両は単行でも運転できるよう、車両の両端に運転席が設けられており、また、乗務員が運転手ひとりだけの、いわゆる「ワンマン列車」としての運転ができるよう、車内に運賃箱と運賃表、整理券発行機が備えられている。その車内の装いは、さながら大きめの路線バスのようだ。

  小野田線は、朝夕の通勤・通学時間帯を中心に、かなりの数の乗客によって利用されている。単行で運転されている電車の座席は、ラッシュ時には埋まってしまうこともあり、よそから来た旅人が着席して乗車するには、少しはばかられるほどである。そんな賑やかな車内の様子から、この路線と共に日本の経済を支えてきた地域のしたたかさを垣間見ることができる。

 

列車が一日にわずか3往復だけの「最果ての駅」に見る人々の息づかい

 

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  長門本山駅は、そんな小野田線から、途中の雀田駅で分岐する盲腸支線である、通称「本山支線」の終着駅である。この「本山支線」は、朝に2往復、夕方に1往復の、一日に合わせてわずか3往復の列車が通るだけの路線で、「最も乗車しにくい路線」の一つとして、鉄道ファンの間で知られている。

  そんな「本山支線」の終着駅である長門本山駅は、1線だけの線路の脇に、1本だけの短いプラットフォームと、雨よけのついた待合のベンチがあるだけの無人駅で、自動券売機もなく、かつては設置されていたらしいトイレも使用できないよう塞がれており、他には特に何の設備もない。そんなこの駅のたたずまいは、一般的な鉄道の駅より、むしろ路面電車や路線バスの停留所のそれに近い。駅のすぐ近くにはバス停があり、その標柱に掲げられた時刻表を見る限り、列車よりバスの運行本数の方が多いらしいのが興味深い。

  そんな長門本山駅のプラットフォームより少し道路側、線路の車止めの奥に、よく手入れがされた松の木と桜の木が植わっており、どこか寂しげな雰囲気のこの駅に、人の息づかいを確かに感じることができる。春先には、桜の木が花を咲かせ、この駅に一時の彩りが添えられる。また、駅の待合の脇には、花の植わった花壇が添えられ、この駅を利用する乗客を出迎えている。駅の近くにあるバス停の脇には、街の大きな観光案内図もあり、ここを偶然訪れることになった旅人へのサービスも忘れていない。この駅には、ここを訪れ、ここを日常の中で利用する人のための、確かな「おもてなし」の心がある。

 

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  この駅の周辺は、意外にも、と言っては失礼かもしれないが、決して何もない荒れ地ではなく、静かな住宅地となっている。駅のすぐ脇には、付近の住民が通勤や通学に使っているものなのか、数十台の自転車が並んでいるのが見られる。中には、長い間そこに置かれたままにされているのか、少しさび付いた自転車もある。なるほど、いわゆる「放置自転車」の問題は、決して都市部だけのものではなく、日本社会全体にあまねくあるもので、この一見寂しげな長門本山駅の周りにも、そんな自転車がある――そんなところを目の当たりにすると、そこに確かな人の暮らしぶりが感じられ、どこかホッとしてしまうのは、よそ者の旅人だからこその感性なのだろうか。

 

静かになった街に今も活きる若者の姿

 

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  小野田線の本線側の列車は、特に平日には、出勤途中の人々や、付近の高校や大学に通う学生で、単行列車の車内が少し混み合うくらいである。そんな様子を見る限りでは、この路線が「ローカル線」と呼ばれるには、ふさわしくないようにさえ思えてくるほどだ。

  本線側ほどの賑わいはないにせよ、「本山支線」側の列車にも、どこか本線側と似たような様子が見られる。一日に3往復の列車には、年配の人だけでなく、都市部でしばしば見られるような、一般の通勤客の姿も見られる。それにも増して目立つのは、この街の付近にある高校や大学に通う学生の姿だ。もっとも、高校生の姿であれば、その数はともかく、およそどこのローカル線を走る列車に乗っても見られるものだ。しかし、ローカル線の列車の中で、これほど多くの学生の姿を、しかも大学生の姿まで見かけるのは、珍しいことだろう。

  小野田線の「本山支線」との分岐点にあたる、雀田駅の付近には、山陽小野田市立山口東京理科大学がある。小野田線の列車に乗る乗客のうち、学生服や部活のユニフォームをまとっていない若い学生の姿を見かけたら、おそらくそれは、この大学の学生だろう。

  この大学は、地元の自治体である、かつての小野田市が、東京にある私立の学校法人に働きかけて、理工系の短期大学を誘致し、それが四年制の大学となった後、この大学の運営を引き継ぎ、公立の大学として再スタートさせてできたものである。そんなところから、この街が、いかに若者の育成に力を入れているかがうかがい知れる。他のローカル線にも決して劣らない数の高校生に加えて、大学生の姿まで混じって賑わう車内の様子を目の当たりにすれば、この小野田線は一層、単なるローカル線と片付けるわけには行かなくなる。この路線が通る町は、他のローカル線に見られるような、「かつて工業で栄えた街」では決してなく、むしろ、「これからを支える学生の街」だと言うべきかもしれない。

  小野田線の本線側の列車が雀田駅に到着すると、そうした通勤客や学生たちのうち何人かが、長門本山駅のある「本山支線」の列車に乗り換えてくる。その数こそ、本線側と比べれば減ってしまうものの、その様子を見ていれば、「本山支線」も本線側と同様、やはり通勤・通学の足として、一定の役割を担っているらしいことがわかる。

  日本各地の、およそどこのローカル線にも、必ずと言ってもよいほどつきまとうのが、路線の廃止の問題なのだが、ここで見られる若い学生たちの様子を見る限り、この小野田線や「本山支線」だけは、そんな話とは一切無縁そうに思えてくる。一日にわずか3本という、かの長門本山駅や「本山支線」の列車も、ここで見かけたような若い学生たちと共に、これからも末永くこの地域とうまく付き合い、この地域の姿を見守り続けるのかもしれない――そんなことを期待させてくれるのが、この盲腸支線の端にある「最果ての駅」になるとは、旅人にとって、ちょっと新鮮な経験である。

  

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