たびびとが行く

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まるで地下要塞、「日本一のモグラ駅」上越線・土合駅

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今回は、「日本一のモグラ駅」として、テレビなどのメディアでも取り上げられ、一般にも認知が高まりつつある、JR東日本上越線土合駅を紹介しよう。

この駅が「モグラ駅」と呼ばれるようになったゆえんは、下り方面プラットフォームが、上越線群馬県(高崎・水上方面)側と新潟県(宮内・長岡方面)側の間の山岳地帯にまたがる、新清水トンネルの地中深くに設けられていることからである。

普通、鉄道の駅を訪問するには、単純に鉄道を利用してそこへ向かうというのが一般的だが、この地帯のように沿線住民が少なく、列車の運転本数が限られている路線では、駅そのものの訪問のために、わざわざ自動車で向かうケースも多い。山間部の過疎地域にあるこの駅も、ご多分に漏れず、そうした例の一つである。

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筆者は、この土合駅へ向かうために、まずは首都圏から高崎線の電車に乗って高崎へ行き、そこから上越線の水上行きの電車に乗り換えた。

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高崎から乗った水上行きの電車で、温泉地として有名な水上駅へたどり着くと、いよいよ新潟県方面へ向かう電車で土合駅へ向かう。

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上の写真手前の電車が、水上と長岡の間を往復する、上越線の電車である。上越線の水上と越後湯沢の間の、群馬・新潟県境をまたがる区間は、先述の通り沿線住民が少ない過疎地域であり、この区間を運転する列車の本数は大変少ない。このことは、後に詳しく述べよう。

水上駅から土合駅までの所要時間は、およそ10分と短い。高崎方面から電車を乗り継いできた者の感覚では、水上までの道のりが長かった分だけ、水上からは、ややあっけなく到着すると感じられるほどだ。

水上方面から上越線の下り列車で土合駅へ向かうと、その1つ手前の湯檜曽駅も、同じように地下にプラットフォームが設置されている。この駅も、何か 怖いもの見たさで興味をそそられ、一度下車してみたくもなるが、先述の通り、この駅で下車してしまうと、次の列車が来るまで数時間待たされることが時刻表 に示されているので、それは次の機会に譲ることにした。

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その土合駅に到着すると、そこは地下鉄の駅と言うよりは、それを通り越して、ひどく薄暗く、利用客も観光客に限られており、閑散としていて、まるで地下要塞を思わせるような雰囲気である。筆者がここを訪れたのは、3月下旬の春先で、この時期の山間の当地は本来、まだ厳寒の空気に包まれているはずなのだが、この地下プラットフォームに限って言えば、むしろ適度な温暖ささえ感じさせるような、過ごしやすいくらいの気温だった。

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土合駅の地下プラットフォームには、プレハブの待合室が設けられている。ものの本などによると、この待合室は、かつてこの駅を通ることもあったという、特急列車などの優等列車が通過するのを待つ間、その騒音と風圧から利用客を守るために設けられたものだという。

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さて、土合駅の地下プラットフォームに掲げられた、一見何の変哲もない、「出口」の表示であるが、この「出口」までの道のりこそが、この駅を「モグラ駅」と呼ばせしめているものである。

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 土合駅の下り方面地下プラットフォームから、実際にこの駅の出口へたどり着くためには、なんと、460段あまりの階段を登り切らなければならないのである。その長い階段の威容は、この駅を訪れる者の心を圧倒する。これが単なる地下駅ではなく、「日本一のモグラ駅」であることを痛感させられる。

しかも、この駅には、エレベーターは設置されていない。階段脇の細いスペース(上の写真の向かって左側)には、この地下プラットフォームの設置時に、エスカレーターを設置することが予定されていたとも伝えられるが、現在に至るまでそれは実現しておらず、これからも実現する見込みができるのかどうかもわからない。

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駅出口までの階段の麓に、プラットフォームから駅を出るには、標高差およそ70mを、10分ほどかけて歩かなければならないという表示。もっとも、この駅の利用者は、付近の谷川岳を登山する人が中心だとのことなので、そうした乗客にとっては、このくらいはなんともないのだろうか。筆者がこの駅を訪れた時点では、年齢は既に40歳近くになっていたが、度重なる旅行で、体力には自信があったので、さっそく挑んでみることにした。

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先述の階段脇のスペースを流れる水は、谷川岳から流れる雪解け水だろうか。プラットフォームや階段を含めた地下部分の空気は、こうした水のせいか、かなり湿度が高いとも感じられた。しかし、メガネやカメラのレンズが曇るほどのことはない。

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460段あまりの階段の、およそ半分ほどを登り切ったが、その先を見上げても、まだまだ長い道のりが残されていると実感する。人によっては、気の遠くなるような思いをするかもしれない。

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階段の途中に、出口まで0.3kmであることを示す表示がある。とはいえ、たかが300m、されど300m、いくら日々の散歩などで平地を歩き慣れた人でも、ここでの300mは、あまりに遠いと感じられるのではないだろうか。

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階段の途中には、何カ所か、上の写真のような休憩用のベンチが設けられている。しかし、薄暗い階段の途中では、ここで弁当でも食べて行こうという気になるには、ちょっとした勇気が要りそうだ。

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460段あまりの階段を、ようやく登り切った。いくら途中で写真撮影などのために、足を止めたとはいえ、健脚さには自信があったつもりの筆者でも、確かに案内の表示通り、10分かかった。この階段、侮るべきではない。

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462段の大階段を登り終えると、そこにこのモグラ駅の竣工時に取り付けられたとみられる、階段の型式、施工者、施工時期を示すプレートがあった。この大階段は、「連絡通路」という扱いになっているようだ。

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階段を登り終えた奥には、何やら大げさにさえ思える形をした風よけの板と、「残り143メートル、24段」が残されている旨を示す、読む者によってはウンザリするような表示もあった。

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駅の出口が近いことを示す表示が、ようやく出てきた。

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地方の無人駅らしく、きっぷの回収箱がある。しかし、この駅にはどうやら、かつて立派な改札口があったらしい。そんなことを思わせるような、今にも改札業務に携わる職員が立ちそうな立派な体裁の改札台が、駅舎と通路の間に設置されている。

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駅舎の入口側から入ってきた人は、この表示を見る限りでは、ごく普通の長さの通路を通って、下りホームに行けるのではないかと思ってしまいそうな、何気ない表示。

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しかし、この看板を見れば、この駅の下りホームへ向かうことが、どれほど恐ろしいことかを、考えずにはいられないだろう。

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土合駅駅舎外観。割と大きく、立派な体裁の駅舎だ。駅前には、広々とした駐車場があり、地元の群馬県のナンバープレートのみならず、遠くは「足立」「習志野」のものさえ見られた。この駅は、列車より自動車で訪れる方が便利であることを垣間見ることができる。

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土合駅の時刻表と、「乗車駅証明書発行機」。これを見れば、この駅がいわゆる「ローカル線」に存在することを実感するだろう。

自動車でこの駅を訪れる人の中には、「乗車駅証明書発行機」の使い方がわからず、なぜかよそ者の筆者に、その使い方を尋ねてきた観光客もいた。また、この駅が「無人駅」であることを理解できないらしい観光客が、きっぷの買い方や、入場料の支払い方まで、筆者に尋ねてくる者もあった。筆者自身も都市部の生まれ育ちで、今も都市部に在住し、そこを拠点に活動しているのだが、旅人を続けていると、時折、こうした場面に出くわしてしまう。その日に偶然、駅の清掃に訪れていた人に、筆者が「こんな風にご案内してもよいですか」と尋ねると、「まあ、いいんじゃないですか」とのご返答。

ちなみに、この日に駅の清掃業務に来ていた人は、週に1、2度ほど、この駅を清掃しに来るとのことであった。乗客のほとんどは登山客と、筆者のような好事家の類で、地元の人による利用はめったにないとのこと。この駅を訪れる観光客も、自動車で訪れる人がかなりを占めているという。この広々とした駅舎と、「モグラ駅」とたとえられる駅の構造も、ひょっとしたら、災害時の避難場所としての活用の想定しているのではないかとは、この清掃担当者の言葉。実際はどうなのか、今(2016年7月)のところは、まだ筆者も確かめてはいないが。

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駅舎は、とにかく大きくて広く、周囲には人家が一軒もないとはとても思えないものである。かつてのきっぷ売り場や売店、改札台の後と思われる設備が、今もそのまま残っている。広大な待合室は、列車の時間の前後だけ、ほんの一時の賑わいを見せる。

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土合駅の上りホームは、至って「標準的」。しかし、そこにはかつて、下りホームも存在したらしい跡が残っているが、現在ではその設備は、線路ごと外されている。

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春先の3月下旬に訪問したとはいえ、あたりはさすがに山岳地帯とだけあって、駅舎の外は非常に寒い。帰りの列車が来るまで、相当な時間があるので、できれば駅の周辺も散策してみたかったが、そんな筆者の意欲をまるで削いでしまうような厳しい気候だったので、駅舎の中でおとなしく気長に列車を待つことにした。

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かなりの時間が経ち、ようやく新潟方面からの上り列車が、プラットフォームに滑り込んできた。観光客と思しき乗客が数名、筆者と共にこの土合駅から同じ列車に乗って、水上方面へ向かった。

夏に訪れれば、駅の外も、高原地帯のすがすがしい気候を満喫できそうな環境だと思われたが、冬から春先に訪れるには、さすがに厳しい場所である。登山者であれば、おそらくよく心得ているのであろうが、ここは本来、人を安易に寄せ付けるような場所ではないようだ。そんな場所だからこそ、鉄路を通すには「モグラ駅」という人智と努力も必要だったのだろう。この「モグラ駅」は、この地で自然と人間が長年向き合ってきた上で出された、現時点での人類から自然への、回答の一つだと言えるだろう。