たびびとが行く

自宅の近所から日本国内、世界まで、あらゆるところをうろついて、そこで見聞きしたものごとを、ただ延々と書き連ねるブログです。時々、より楽しく快適な旅への豆知識もご紹介。

大自然に抱かれながら、 「もう一つの豊かさ」を見つける駅 ~ JR飯田線・伊那大島駅 ~

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鉄道ファンの間では「秘境駅」が連なることで知られるJR飯田線は、観光シーズンを除けば、鉄道でそこを通る人は、およそ地元で暮らす人々に限られるようだ。飯田線は「ローカル線」と呼ばれる鉄道路線の一つであるが、もちろん、地元で暮らす人々にとっては、生活のための大切な足である。とりわけ、飯田線が「秘境路線」と呼ばれるゆえんとなっている、平岡から天竜峡までの区間は、そもそも並走する自動車が通れる道路の整備が不充分で、駅周辺の集落によっては、そこへたどり着くために、今なお鉄道に頼らざるを得ないところもあるほどだという。

そんな「秘境路線」の飯田線にあっても、平岡から天竜峡までの「秘境区間」を除けば、ある程度の人口規模がある地域であり、そこを通る列車の中で見られる風景は、いわば「普通のローカル線」である。

一方で、飯田線が鉄道ファンの間で人気を博している、もう一つの理由は、その沿線の風景にある。雄大な自然を背に走る列車をカメラに収めようと、有名な「撮影ポイント」で、線路の方向へレンズを向けながら列車の到来を待つ「撮り鉄」にとっても、また、列車の車窓を流れて行く景色を眺めながら、ゆったりとした列車の旅を楽しむ「乗り鉄」にとっても、飯田線には格別の魅力がある。先の「秘境区間」や、天竜峡駅付近の雄大な眺めはもちろんのことであるが、それ以外の区間も含めて、南アルプス中央アルプスの間を通る飯田線の沿線の眺めは、おしなべて魅力に満ちあふれている。

そんな飯田線にあって、割と「普通のローカル線の駅」でありながら、どうしても筆者の心を惹きつけてやまない駅がある。それが、今回紹介する伊那大島駅である。

プラットフォームから雄大な山々を望む

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単線の飯田線を走るワンマン列車は、行き違いの列車を待つために、所々の駅で10分前後の停車時間ができることがある。行き違いのための設備を持つこの伊那大島駅も、そんな駅の一つである。この駅では、行き違いを待つ車内からプラットフォームを見ると、その先に雄大な南アルプス中央アルプスの風景が望める。運転手に願い出れば、列車の発車までの間、しばし一度列車の外に出ることもできる。実際、列車でこの駅にたどり着いた旅人には、そう願い出る者が多いようだ。

プラットフォームから、遙か向こうに見える山々までの間には、天竜川に沿って開けた、広々とした土地がある。そこに広がる田畑は、確かにその地に住む人の暮らしがあることを思わせる。

プラットフォームには、地元の人々、特に子どもたちの手による、そこが果物・りんごの里であることを示す飾り付けがなされていた。その土地の特産品を誇らしく知らせてくれる駅の飾り付けから、そこに住む人々の生き生きとした息づかいが感じられる。

四季と、生活の足としての鉄道と、駅に集う人々

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冬に飯田線の列車で伊那大島駅にたどり着けば、春先にここへたどり着いた時とはまるで違った表情を見せる。前に訪れた穏やかな春先とは大きく違って、厳しい冬の最中であっても、そんなこの駅の姿に心を惹かれ、その景色の寒そうなことには気に留めることなく、ふらっと列車の外に出る旅人はやはり多い。

たまたま、その駅の上り方面行きプラットフォームで列車を待っていた婦人に、この辺りでは冬になると、このような雪が降ることはよくあるのかと尋ねてみた。するとその婦人からは、かつてはそうして雪が降り積もることも、ひと冬に何度もあったものだが、最近は、年に1回か2回、このように降り積もる雪があるかどうかぐらいだと教えてくれた。

まだ学校が冬休みの最中、駅舎には、地元の学校の野球部のメンバーと思しき若い球児の一団が、そんな珍しくなったという雪と寒さを避けるように駅舎の待合に集まり、寒さを紛らせるような明るい声で語らっていた。

やがて、列車の発車が近いことを告げるアナウンスが駅に響き、旅人が再び列車に戻ろうとすると、その球児の一団も、同じ列車に続々と乗り込んできた。彼らの抱えた野球道具のバッグに、わずかに積もった雪が、その日の雪の激しさを物語っていた。聴くともなく筆者の耳に入ってくる、列車の中でも続く、驚きの混じった明るい声での語らいの中身からも、その日の激しい雪が、地元で暮らしているはずの彼らにとっても、不慣れなものらしいことが読み取れた。

普通列車がすれ違う駅で見つける「もう一つの豊かさ」

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先に述べたとおり、飯田線のような、いわゆる「ローカル線」には、いわゆる単線の路線が多い。都市部に多く見られるような複線の路線とは違い、単線の路線では、逆方向へ向かう列車同士がすれ違うための、独特の設備がある。具体的には、駅や信号所など、線路が二手に分かれて、その一方の線路に列車が入って、逆方向の列車がやってくるのを待ち、逆方向から向かってくる列車がもう一方の線路に入ってきたところで、列車を再び進め始めるというものである。このため、逆方向から向かってくる列車に、遅れや不具合などが生じると、列車はその分、駅や信号所で長く待たされることになる。単線の区間では、このようにして、駅や信号所で列車のすれ違いを待つことは、決して珍しいことではない。

都会に住む旅人にとっては、駅で少し意外な待ち時間ができることによって、思いがけない発見や気づきが得られることもある。もっとも、列車同士のすれ違いや追い越しの場面では、通行の優先順位は特急列車が優先とされるので、特急列車に乗車していると、こうした待ち時間を経験する機会は多くはない。その一方、通行の優先順位が最後に回されることになっている各駅停車の列車に乗っていると、しばしば、このような待ち時間に出くわす。

鉄道を純粋な生活ための足、移動のための交通手段として利用するのであれば、こうした待ち時間は、いわば「ムダ」でしかない。しかし、そこを敢えて、普通列車だけを利用することにこだわって旅をするのであれば、その醍醐味の一つとして、こうした偶然によってしか得られないような発見や気づきに出合えることが挙げられるだろう。

「もう一つの豊かさ」への、世代を超えた「共感」

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かつて日本は、一度は豊かになったものの、その後、暗く長いトンネルのような不況に入り、そこからなかなか抜け出せなくなって久しい。そんな日本の人々が、近年になって、その豊かになる過程で築き上げてきた新幹線や高速道路などの、より速く便利で快適な交通手段によらない、地道な普通列車の旅に、敢えて再び目を向け始めた。長い間、豊かさを追ってせっせと走り続けてきた日本の人々は、ここに来て、ふと振り返ると、一見、近道のようにも思える長いトンネルを掘ることが、実は必ずしも豊かさにつながるとは限らないらしいことに気づいたのだろうか。セカセカとした駆け足の途中に置き忘れかけていた「もう一つの豊かさ」を見つめ直してみたいという思いが、この国の人々の間で生まれ、それが次第に共感として広がったのかもしれない。

かつては、普通列車の旅を楽しむ人々と言えば、学生など、貧乏な若者だというイメージがつきものであった。しかし近年では、既にそんなセカセカと走り続けて、ようやくひと休みの時を迎えた、シニアの人々が目立つようになった。

その一方で、今の若い人たちの目には、そんなのんびりとした旅が、却って新鮮に映るようだ。およそ、シニアと若者といった、世代間での考え方や感じ方の違いは、互いの心のすれ違いや、衝突の原因となるものだ。そんな中、こうした一見「不便な」旅に対する価値観には、むしろ世代を超えた、本来の人としての「共感」があるのかもしれない。それは、シニアの人々からしか思い起こされないはずのノスタルジアや、若い人からしか生まれないはずの新鮮味といった、世代間では重なりにくい美意識の共有には留まらない、今も昔も変わらぬ、ゆったりとした時間がそこに流れているという事実そのものに対する美意識への「共感」があるのだろう。

そう考えると、こうした普通列車の旅を楽しむ層の広がりもまた、日本の人々の間に「もう一つの豊かさ」を探ってみたいという思いが、広がっていることの表れではないだろうか。もっとも、その「もう一つの豊かさ」が、具体的に何であるかは、人それぞれであろう。とはいえ、その「豊かさ」が何であるかが「人それぞれ」であり、そのどれもが、それぞれ、人々に受け入れられるようになりつつあること自体もまた、この国がセカセカと駆けて行く最中で手に入れてきた豊かさの一つなのかもしれない。どこか沈んだようにも見えるこの国には、まだまだ多くの豊かさが、意外な形で、ちゃんと蓄えられ、受け継がれ続けているのかもしれない。

 

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