たびびとが行く

自宅の近所から日本国内、世界まで、あらゆるところをうろついて、そこで見聞きしたものごとを、ただ延々と書き連ねるブログです。時々、より楽しく快適な旅への豆知識もご紹介。

琵琶湖の北の端の交差点で人々を優しく迎える駅 ~ JR北陸本線・湖西線・近江塩津駅 ~

 

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   琵琶湖は、滋賀県の面積のおよそ6分の1を占める、日本最大の湖である。大都市の大阪や京都からも割と近いところにあり、春先から秋にかけて過ごしやすい気候でもあることから、観光のためにこの琵琶湖を訪れる人々も少なくない。また、琵琶湖の北西にあるマキノ高原のスキー場は、冬になれば、ウィンタースポーツを楽しむ多くの人々で賑わう。

  また琵琶湖は、古くから短歌に詠まれることも多く、琵琶湖に浮かぶ竹生島も、長く信仰の対象とされてきた歴史がある。また、井伊直弼ゆかりの名城・彦根城や、羽柴秀吉が築いた長浜城も、共にこの琵琶湖畔にある。さらにこの地は、日本で多くの西洋建築を手がけたアメリカ生まれの建築家であるウィリアム. M. ヴォーリズともゆかりの深い土地であり、高島市今津町の街並みは、かのヴォーリズのデザインによるものとして名高い。

  現在も琵琶湖から、琵琶湖疏水を通じて京都や大阪などの大都市へ送られる水は、そこで水道水の源として活用されており、この地域の人々の生活や産業を支える「水がめ」としての役割も担っている。このように琵琶湖は、日本の文化や歴史を語り、人々の生活を支える上で、欠かすことのできない存在なのである。

  そんな日本の歴史や文化、そして人々の生活と関わりの深い琵琶湖には、それを東西から囲むようにして、鉄道の線路も敷かれている。琵琶湖の南西側から見て、一つは、東海道本線の上り方面を経由し、米原から北陸本線に北へ向かって分岐し、福井・金沢方面へ向かう「米原ルート」、そしてもう一つは、京都から東海道本線で上り方面に一つ先の駅である山科から分岐し、湖西線を通って北東へ向かう「湖西ルート」である。琵琶湖の南西端にある山科駅で分かれる、これら2つのルートが、琵琶湖の北東端で再び一つに交わる点にある駅が、近江塩津駅である。

 

旅人もホッとする、のどかな鉄道交通の要衝

 

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   近江塩津駅は、滋賀県内で最も北に位置する駅で、北陸本線湖西線が交わる点にある。そこからさらに北上し、下り方面の次の駅である新疋田駅までの間に長く通された深坂トンネルの途中で福井県と接する。「湖北」とも呼ばれるこの駅のある地域は、周囲を山々に囲まれ、冬になれば、時に大雪が降ることもある。一方、春から秋にかけて、とりわけ夏の間には、天気のよい日には、すがすがしく過ごしやすい所である。

  2本あるプラットフォームは、駅舎の奥のかなり高い所にあり、駅舎からは、地中に掘られたトンネルと、やや急峻な階段をを通じてつながっている。土手の上のごく限られたスペースに、北陸本線湖西線の上下両方面、合わせて4つの線路が通っていることもあり、それらの線路に挟まれた細長く狭い島式のプラットフォームは、人によっては、そこを歩くのが怖いと感じるかもしれない。

  近江塩津駅の近辺は、農村地帯となっており、喧噪に満ちあふれた都会とは全く違った、ゆったりとした時間が流れている。駅前の国道8号線には、それほど多くの車は通っておらず、いかにも農村地帯らしい、のんびりとした雰囲気である。北陸本線湖西線が交わり、その北に福井・金沢ともつながる鉄道交通の要衝にしては、そのような所だとは感じさせないほど、いかにもローカル線といった風情であるのが興味深い。

 

地元の人と旅人を優しく出迎える駅舎

 

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   近江塩津駅の駅舎は、伝統的な様式を取り入れた、まるで明治・大正期の木造建築を思わせるようなデザインとなっている。この堂々とした駅舎は、意外にも第二次大戦後である1957年の建造と、それほど古いものではない。しかし、駅周辺ののどかな雰囲気とも相まって、この駅舎はこの地に似つかわしいもので、ここに来る人々を優しく出迎えてくれる。夏の暑い日でも、駅舎の中は割と涼しく過ごしやすい。待合室の奥の方は、昼時のごく限られた時間にだけ営業される食堂にもなっている。この食堂は、この駅がある地域で長年、学校給食の調理に携わってきたという、腕に覚えのある料理人たちの手で作られるものだということで、ここで出される昼食の味は、旅人の間でも評判が良い。駅務室も昼間だけの営業で、嘱託の職員が乗車券や入場券の発売業務を担っている。駅では他にも、レンタサイクルの貸し出しも行っており、晴れた日には、この駅のある湖北地域ののどかな雰囲気を、自転車に乗って楽しむこともできる。

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  駅の利用者は、観光シーズンだと、地元の人と旅人が半々か、旅人の方がやや多いぐらいといったところだろうか。のんびりとした駅周辺の雰囲気を見る限りは、昼間にやってくる列車は数時間に1本という所でもおかしくないぐらいの、いかにもローカル線といった風情の駅だが、実際には京阪神方面との間を湖西ルートや米原ルートを経由して往来する列車と、敦賀・福井・金沢方面との間を往来する列車が、それぞれ1時間に1本程度はやってくる、割と便利のよい駅である。そんなこともあってか、地元の人々による利用もそれなりにあるようで、朝夕の通勤・通学時間帯には、家族が駅前まで自家用車で送り迎えをする様子が見られる。

  また、駅の駐輪スペースには、観光客向けのレンタサイクルに混じって、この地域に住む人々のものらしい自転車も見られる。時折、駅の前に自転車を置いて列車に向かったり、逆に列車から降りてきて、駅前に置かれた自転車に乗って行ったりする人たちがいるのが見られる。この駅の待合で、ゆっくり休みながら、しばしそんな様子を見ていれば、こののどかな雰囲気の中にある駅も、確かに鉄道交通の要衝の一つなのだと、徐々に感じられるようになるだろう。

 

「琵琶湖環状線」構想、そして北陸新幹線の後

 

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   さて、この滋賀県の北端にある近江塩津駅は、同時に琵琶湖の南側から東西を通って走ってきた鉄道の合流点でもあり、この駅を北端とした「琵琶湖環状線構想」が、地元の自治体である滋賀県から、長年にわたって要望されてきた。その内容は、北陸本線湖西線のうち、県南部から近江塩津駅までの区間を全て直流電化で統一することにより、大阪や京都などの大都市圏との間を、同じ型式の直流電車で直通できるようにし、アクセスを容易にしようとするものである。

  この構想は、その後、北陸本線米原駅から近江塩津駅までの間と、湖西線の全線が直流電化で統一され、両区間まで京阪神区域の新快速電車が直接乗り入れてくるようになったことで実現した。その結果、湖西地域や湖北地域の人口や観光客数の増加や、都市部へのアクセスの向上による住みやすさなど利便性の向上、そして、日常的な鉄道利用者数の増加などといった成果があったという。そうだとすると、「琵琶湖環状線構想」の実現に伴うこれらの成果は、いくら道路網の整備とモータリゼーションが進んだ日本においても、鉄道は今なお人々の生活の足として、重要な役割を担っていることを示すものといえるだろう。

  その一方で、将来は東海道新幹線と接続されることになっている北陸新幹線は、敦賀からさらに西へ小浜駅へ延び、そこから南へ京都駅までつながる構想が有力になったとされている。その通りになると、この近江塩津駅を含め、琵琶湖の沿岸の各地域は、北陸新幹線の通るルートから外れることになる。そうなると、せっかくの「琵琶湖環状線構想」の成果は、どうなってしまうのかが関心事となるだろう。

  とはいえ、そんな都会風のせかせかした理屈とは無関係と言わんばかりに、この近江塩津駅の付近には、今ものんびりとした時間が流れ続けているように見える。近江塩津駅が、これからも末永く、旅人に一時の休息をもたらし、おいしい食事を振るまい、湖北のゆったりとした雰囲気を満喫させながら、新幹線では味わえない「もう一つの旅のルート」を与え続け、また、遠くへ足を伸ばしたい地元の人々の送り迎えをしてくれる場として、これからも優しくそこにあり続けてほしい――そんな願いは、どちらかというと長旅をのんびりと楽しみたいという、ちょっと変わった志向を持つ旅人の、のんきなわがままだろうか。

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